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第2章 廃疾の程度の認定
10 精神障害の障害認定の基本的な考え方
廃疾認定講習会(39年6月開催)における前東京都立梅ヶ丘病院副院長斉藤徳次郎氏の講演記録
精神障害認定の実際
国民年金に内部障害、すなわち精神障害と、呼吸器障害を入れるか、どうかという案がでて、精神の方の検討を、笠松教授とわたくしが引き受け改正が実現した。その後も、やはり2人が中心となってまとめたのが、この認定基準である。
対象とする障害の程度
まずどういう状態の精神障害を対象とするかというと、精神に、持続性がありまたは持続性があると思われる障害があり、自用を弁じられないもの、知能からいえば白痴級(1級該当)、つぎに精神に持続性または持続性と思われる障害があり、日常生活に制限が加えられるもの、その程度は知能からいえば、痴愚級(2級該当)と考えた。
対象としない三つの疾患
それではどの疾患にも適用してよいかということであるが、精神病質神経症、精神薄弱はのぞかれた。すなわっち対象にしないということである。精神病質を年金の対象から除外することについては、異議のないところであろう。神経症も廃疾、症状の固定という点で、認定のむずかしさもあり、年金神経症というようなものまでも考えてのぞいた。
つぎに精神薄弱であるが、これはいずれ取り入れるべきものではないかと思うが、今回は対象からはずされた。というのは精神薄弱を別途考究する等の案や、重度の精神薄弱児手当法〈注昭和41年法律第128号により特別児童扶養手当となった。>が予定されたりしていたからである。いずれにしても、精神薄弱は適当のときに入れる必要があると思う。〈注これら三つの疾患も昭和40年の法改正でとり入れられた。>
とにかく精神病質、神経症、精神薄弱をのぞく、すべての精神障害を年金の対象とし、その障害が持続性であるか、または持続性があると思われるという性質のもので、白痴級、痴愚級の程度の者に年金を支給することに限定したのである。
認定の時期
では、いつこの認定をするかということであるが、初診日から3年を経過した日を原則として認定日とされた。これは主として行政的立場の考えから定められたものであって、専門的な立場からいうとなお検討の余地は残されており、引き続き研究をしてゆきたいと思っている。これについては、厚生年金の例などがあるので、事務当局ではその線にならったと思われる。
それはとにかく、症状が固定せずとも3年目に認定するわけであるが、2年目でもその状態が不可逆性であれば、認定して差し支えないこと、3年目でもその状態に変化の可能性があれば、1年さきをみこして4年目の状態で認定しても差し支えないというように、ある程度の幅をもたせてあることをつけ加えておきたい。
つぎに精神衛生法や生活保護法の入院患者にみられる6ヵ月、3カ月等の期間をおいて、病状を審査して、その正確さをはかっている方法があることは、ご存知の通りであるが、この場合にもそのようにしたいということで、2年目ごとに診断書を提出することになっている。
以上が対象となる疾患、その程度、認定日等であるが、ここでご注意申し上げたいことは、自用を弁じられない程度についてである。身体障害であれ、精神障害であれ同一等級のうちでは、その程度は同格であるから、身体障害の場合をご参考にして、辛からず甘からずご配慮ねがいたい。
各疾患別のあらまし
つぎに各疾患別にいちおう、あらましをのべてみたい。
内部障害として、年金の対象となる精神障害は、精神病質、神経症、精神簿弱の三つく注昭和40年の改正で年金の対象にとり入れられている。〉をのぞいた精神分裂病、そううつ病、非定型精神病、てんかん、中毒精神病、器賞質精神病である。精神分裂病については、廃疾認定基準では、高度の精神的欠陥があり、高度の人格崩壊、思考の障害、その他妄想、幻覚がありといった表現がされている。これらはこれをうらからみれば、便所に1人で行くことができない、食事もできない、すべて他人の手をへなければ生命の保持があぶないというようなことを、意味しているわけである。つまり非常に重い精神の障害であることをいっているわけである。つぎに或る程度までは自立できるが、常時目を離せない状態、これは精神衛生法でいう、社会に危険を及ぼすというものではなくて、生命保持のために誰かが常時目をはなせない状態、そういう状態を指しているわけである。これらはすべて1級の障害になる場合である。
そううつ病の場合は、認定基準に書かれていることをいいかえると、精神の障害のために、自分の感情が昂揚しすぎたり抑制されたりするため、自分の生活を調節できなくなって、たえず、介護、指導を必要とするものである。
非定型精神病というのは、症状経過はちがうが、終局的な廃疾の状態というものからみると、今まで述べた分裂病、そううつ病と甲乙ないものである。
その次のてんかんであるが、これも非常にむずかしいと思うが、認定基準にみるようなものと、ご承知願いたい。
さらに中毒精神病、器質精神病病などは、いずれも認定基準をみてもらうこととして、細かいことは省略したい。
これで、いわゆる1級障害の自用を弁ずることができない程度のものについて、ご説明申し上げたわけである。
次に2級障害は、これは1級よりその程度が軽くて、白痴級から痴愚級のところにくるものである。
診断書記載上の注意
最後に診断書であるが、診断書の様式については、いろいろ考えてみたが、最後にこの様式に落ちついた。結局この診断書は、いわゆる純医学的な意味のもっとも正確な診断というか、かくかくの症状であるが故に、精神分裂病であるというふうなことももちろんであるが、それのみに限らないで、とくに日常生活に及ぼす影響に留意して、⑦欄の現症の精神所見欄<注規則の一部改正(昭和41年厚生省令第39号及び第40号)により、現在は⑧欄〉を記入していただきたい。
この欄の内容が廃疾認定上の主要なファクターになるのであるから、普通なら幻覚があって、妄想があって云々となるが、こういう妄想があって常時食事もたべられないというふうなことで、日常生活に則した、直結した精神状態というものと結んで書いていただきたい。そのように書いていただいて、順次にそうした項目をおっていくと、たとえば風呂、食事、着物も1人では処理できないとか、あるいは食事ぐらいはだいたいできるが風呂が留守番だということは、ちょっとむずかしいというようなものが、当然でてくるようにしたいと思う。作成した方の立場としては、その辺で多年のご経験をいかしていただいて、1級、2級と自づと分けていただけるだろうと考えたわけである。
その裏付として、⑥欄(2)発病以来の治療歴く注規則の一部改正(昭和41年厚生省令第39号及び第40号)により、現在はの欄)の治療年月、何々病院で、どういう診断で、どういう治療、その転帰ということをわかる範囲で書いていただく。①欄にかかれている食事も風呂も1人ではできないのは、前にこれだけの治療をしながらこれだけの症状が残っているんだと、なかには初診日から3年以内であるが、これでは固定したと認めても良いのではないかというふうな意味を加味してあるので、活用していただきたいと思う。
それから⑥欄の発病以来の症状と経過も、できるだけくわしくお取りになっていただけばよいが、国民年金の場合は、労災や厚生年金の場合とちがって、非常にむずかしくなってくると思う。しかし、非常にむずかしいでは、いつになっても精神障害は年金に入れられないので、多少の困難さを承知でこぎつけたのであるから、委員の考えもくんでいただいて、出された診断書で判定していただきたい。
これについて診断書を直接書かれる側の人のためというか、廃疾認定診断書の作成が困難なときには、ある一定の期間納得のいくまでご検討をねがうようなことも、必要な場合があることを考慮している。
それから、この診断書は誰が書いたらよいかということになるが、精神鑑定医、精神鑑定医のいない場合には精神科医というふうに考えたのである。
次にの欄(2)と(3)身体所見、臨床検査欄〈現行③欄3)(4)>であるが、廃疾認定上特に必要でないものは省略してもよい。つまり、精神所見の欄を解説するに必要なものだけといえる。
なお、②の合併症の欄には、国民年金では精神と身体の両障害を合併して年金が支給される程度に至る場合があるので、精神障害に関係のない障害、たとえば既往の一上肢切断などの障害も記入していただきたい。
第2廃疾の程度の認定
く障害認定の基本的な考え方>
廃疾認定講習会(40年5月開催)における厚生技官下河辺征平の講演記録
法別表のもつ意味
国民年金のうち障害年金というのは、かけ金をつみたてていた人が、障害者になったとき障害の程度に応じてでる年金ですが、これに対して、国民年金のうも障害福祉年金といえば、かけ金をつみたてないで、でる年金であります。これには主として障害を20歳前にもっていて、20歳になってからでるものと。国民年金制度ができた昭和34年11月1日において、すでに障害の状態にある人にでるもの。およびその後障害状態になったけれども、かけ金の納付要件をみたしていないために、きょ出制の年金はでないが、補完的な福祉年金はでるというばあいがあります。障害年金および障害福祉年金が、どの程度の障害のものにでるかと申しますと、国民年金法のなかにあります「別表」に相当する程度の障害のばあいにでるわけであります。そこで障害関係の年金に関しては、「別表」が、障害年金がでるかでないか、どれくらいでるかをきめる根本となるわけであります。いいかえますと、別表は障害に関しての年金をだす質と量をきめているわけであります。さらにいいかえれば障害年金が支給される対象と障害年金が支給される程度とをきめているわけであります。諸先生方、県の職員の方のなかには『国民年金内部障害認定事務の手引き』をおもちかと存じますので、それをみていただきますと、その第3頁に法律にあります別表のぬき書が書いてあります。これがすなわち、障害年金もしくは障害福祉年金がでるという質と量をきめている根本なのです。
別表が定める障害の「質」ということ
今、これをみますと、1級と2級ということになっています。そして1級のなかが、11号にわかれ2級のなかが17号にわかれています。この1級、2級の号数が、対象となる質すなわち種類の数であります。1級では1号に両眼の視力云々と書いてあります。視力障害という質を障害年金の対象としましょうというわけであります。これからわかりますように、決して、原病がトラホームだから対象とするとか白内障だから対象としないといっているわけではありまん。視力に障害のあるものを対象とする、といっているのであります。2号のなかが両耳の聴力損失という項目になっています。ここでも聴力損失という質の障害であれば年金を支払う対象にしましょうといっているのであります。
そして量はそれに続いて書いてあります視力の和が0.04以下のもの、聴力障害が90デシベル以上のものということで示されるわけです。3号に目をうつしますと、両上肢の機能障害が年金の対象となり、それから4号は、両上肢をいわるる切断したものも対象にいたしましょう。ということになっているわけであります。5号がこんどは両上肢の指に何がしかの障害があれば対象とします。6,7号は両上肢の機能障害もしくは何がしかの切断、それはみな対象といたします。それから8号が体幹、いわゆる幹になにがしかの障害がありましたら、これを対象にいたします。それから9号からが、昭和38年から変わったところでありまして、くわしくは後ほど砂原、笠松両先生からお願いがあることになっています。ここではじめて、対象を疾患名で限定してあります。〈注 昭和41年法律第92号で全ての障害が給付の対象にとり入れられたため、その表現は、現行別表上はみられない。〉結核性疾患によって身体障害があるときに対象にいたしましょう。となっているわけであります。が、この際呼吸器に関しては、非結核性のもので、呼吸器の機能の障害があるばあいも、対象となるといっているわけであります。10号が精神の輝害、そしてこのうも、昭和40年8月からは精神薄弱も対象となることになっているわけであります。〈注 昭和40年法律第93号によって対象にとり入れられた。〉それから11号がそれぞれいままであげました「対象となる障害」が、そのものずばりでは量的に1級にならないが、何がしかの程度が重なって1級の量をしめていましたらとりあげましょう。ということをいっているわけであります。
それから2級のなかに1級で対象とするもの以外に、またいろんなことをいっておりまして、1級にない対象がはいっていますが、まず2級の3号で平衛機能障害をも対象にしましょう。4号で咀嚼機能障害も対象としましょう、それから5号で音声または言語の障害もやっぱり対象にいたします、といっているわけであります。
これを要約しますと、結核性疾患以外は、原傷病が対象を規定するものではなく、状態、機能障害が対象になるということであります。
法別表が定める障害の「量」ということ
次に量的なことにうつりますが、この根本になりますのは、1級は障害が日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のときであります。それから2級は障害が日常生活が著しい制限をうけるか、または日常生活に著しい制限を加えるということを必要とする程度のときであります。このような量的なしばり方は生化学的検査、病理学的検査などの定性、定量検査をもととしての病気の診断になれておられます各先生方には、きわめておかしいような感じでうけとられるかるしれませんし、またきわめて大ざっぱではないか、と感じられるかもしれません、事実、人間の身体の状態を、このような「別表方式」で把握しようとすることには、科学的という面からは問題があるようですが、いわゆる医学的ないろんな障害に、こんどは行政的にいろんな支えをしようというときに、どうしてもこういう形になっていくのが、従来の慣習のようであります。たとえば厚生年金のばあいは、中には経験がおありの先生もおいでかもしれませんが、「労働することが不能で、かつ、介護が必要である」というのが1級、 『労働することが不能」というのが2級、「労働に著しい制限がある」というのが3級。という量的区分が行なわれています。こういうふうに、どうしても行政面に医学的な身体障害の質的、量的判定をのせてくるときは、こういう言葉にならざるを得ないのかとも思われます。まあ将来は「障害認定」というものはまた違う形になるかもしれませんが、いや、違う形でもっと科学的に、実態に即したものにしなくてはならないのですが、現在のところでは、そういうふうになっています。ちょっと横道にそれましたが、こういうように1級の障害は、日常生活の用を介ずることが不能である程度の障害ですが、障害の質が、いわゆる視覚障害のときは、それにみあうものとして両眼の視力の和が0.04以下にしかみえないものが1級、これはすなわち眼科学的には社会的盲という段階で、一応これを目常生活の用を弁ずることが不能である程度と約束するというふうに、別表はなっているわけであります。
聴力のばあいは、日常出活の用を弁ずることが不能であるという程度は、すなわち、両耳の聴力損失が90デシベル以上、実態からいえばカナツンボの状態なのだと約束するということをいっているのであります。いま別表をずっと見渡しましても、日常生活の用を弁ずることが不能である程度1級、もしくは日常生活が著しい制限を受けるか、蓄しい制限を加えることが必要である程度2級が、数的に示されているのは、この視力障書と聴力障害だけです。肢体不自由では、部位、たとえば両上肢に著しい障害があるものとか、両下肢の足関節以上を欠くものとかいう表現になっており、一定部位が著しく障害されるという量の障害、一定部位が一定度以上欠損しているという量の障害で、年金支給がきめられているわけです。それから結核性疾患(9号)と精神の障害(10号)では、病状をふく必た機能の障害が「日常生活の用を弁ずることが不能である程度」では1級とか、「日常生活が著しい制限をうけける程度」では2級という言葉になっているわけです。この結核性疾患(9号)精神障害(10号)は、新たに設けられた項目でもありますし、くわしく認定器準というものを定めて、全国的に凹凸がないようにしたいというような作業が必要になってまいりまして、わざわざ砂原先生、笠松先生のご足労をお願いしなければならないことになったというわ分であります。
診断書の数字が決定的な価領をもつ
では、別表に数約に表現されています。両眼の視力の和が0.041以下のものというときの0.04という数字は、どういう運命をもつ数字かと申しますと。両眼の視力の和が0.05になりましたら、ただちに2級となってしまうという運命をもつのであります。人間のからだの状態は、そのように割り切れるかといえば、そうとうに疑問があると思いますが、わが国の別表というものは、いわゆる1級もしくは2級の最低線を決めているということになっているのでありますから、非常に冷酷な運命をもっているといわぎるを得ません。
そこで、別表で0.04以下が1級でありますので、たとえば、後天的な視力障害で感の悪い人で、日常生活が独りでできないばあいであっても、提出された診断書に両眼の視力の和が0.05と書いてありまして、この診断書がいわゆる正式につくられた診断書でありましたら、日常生活の状態とはかけはなれて、やはりどう見ても2級とせざるを得ないということになります。その逆のばあいるあるわけで、先天的な視力障害で、感もよくて日常生活は比較的にうまくできても、診断書に0.04と書いてありましたら、1級と認定することにもなります。それから両耳の聴力損失が90デシベル以上のものが1級であるとされていますので、もし両耳の聴力損失が89デシベルであったといたしましたら、これはやはりどうしても1級にしえない、診断書にそうでてしまったら1級にしえない、という運命をもつものであります。これにはいろんな問題がございまして厚生省にあります社会保険審査会で、いつも苦慮しているところでありますが、現行法での別表とは、そのようなものなので、そういうふうな価値をもつ数字であると、ご解釈、ご承知願って、視力、聴力障害の判定を考えていただきます。むしろ診断書で、実態と診断書がおおきくくいちがったばあいには、診断を新たにして、診断書からあらためていく必要が生じます。
抽象的な基準をどう具体化するか
このほかのところでは、著しい障害という抽象的な言葉がはいっています。別表で0.04以下とか90デシベル以上と、きわめて明確に数字であらわされている後に、抽象的表現の項目がくるので、ちょっとおかしい気がしますが、まあこれはこういうふうにしか処理できなかったのであろうと思われます。肢体不自由の方では、著しいというように抽象的な言葉に対して、いわゆるそこでそれをさらに補足する意味で、映画というもので確実に認定していこうと、努力をしているわけであります。元来、認定事務、認定業務は、あくまで基本となるのは医師の診断書ということでございますので、その診断書がなくて映画だけあって、それで認定するということは、事務取扱上できないことになっております。目、耳のところでは数字ででることになっていますので、たとえば、0.04の人が自転車にのっていた、90デジベル以上の人が電話の応対をしていた、そのような日常生活の実態は、たしかにその数字から予想される日常生活とくいちがいがあるので、チェックする材料になりますが、夜、両眼視力の和が0.04以下に悪い人が自転車にのっている写真を、フラッシュをたいてとってそれでどうこうということはできない相談になっています。ですから、視カ1級の人が夜自転車に乗っているような事実がありましたら、当人の視力を確認していかねばなりませんが、そのばあいには、今度はあらたな診断書をとっていくというかたちで、確認していくということになります。
肢体不自由の方は、著しい機能障害というふうになって、著しい機能という考えがいろいろわかれています。それで映画をいろいろとって、そこでどうしても全国的に目を一定の線にならすことが必要であると思いまして、今日8ミリで肢体不自由関係で審査事件にのぼりましたものを、お示ししょうと思います。ここで今からおしめしいたします映画といいますのは、たとえば、あたくしは年金をもらいたい、もらえるはずだということで、県に中請します。そうすると県の方では、でてきた診断書から、あなたはもらえないということで却下いたしますと、それに不服なばあいは国民年金法のばあいでは、各県(国民年金課)におられます審査官に、わたくしはやっばり1級だと思うということで、不服の申立てをいたします。そしてこんどは審査官(第1審)の段階で、あなたは1級ではありませんと棄却されますと、厚生省のなかの社会保険審査会(第2審)へ、不服の申立てができることになっています。それでそこにでてきますと、不服の申立をした人が原告であり、わたくしたちも行政庁が被告の立場になり、社会保険審査会の委員の先生方が裁判官のような立場で、いわゆる省内で裁判形式で審議が行なわれるわけで、そのときにいろいろなことで資料を要求されます、そのために県の方にご迷惑をかけて、映画をとっていただいたりしているわけです。その時の映画を編集したものであります。従来、映写機が各県にゆきわたりませんときには、日常生活動作検査表というふうなことをお示しいたしまして、点数であらわすようにいたしましたが、現在、映写機が各県にゆきわたったはずでありますので、審査会ににだす補足資料としては、肢体不自由関係は、映画によることにしていただき、社会保険庁の方へ送っていただきます。それを社会保険庁でみながら診断書を読んで、審査会で説明していくことにしたいと思っております。また、話が横にそれましたが、もう少し道草を喰わせていただきますと、昔は筆で書いておったが、ペンの発達とともにベンで書くようになり、印刷の発達とともに印刷になりというように、事務書類の発展段階をたどったものを廃疾認定にてらしあわせてみると、診断書というものから、肢体不自由等では可視的な映画というかたちにしていくのは、認定業務の発展的な過程ではないかと、個人的に思っているわけであります。
そういうようなわけで、各県からいただきました映画を編集して、ここにもってまいりました。どういう点で1級と評価されたか、そういう映画を供覧いたしまして、いわゆる1級とおもわれるものはこういうものだ、2級とおもわれるものはこういうものだ、というようなある線を、今日えがいておかえりになっていただいたら、肢体不自由関係だけは、ある意味で全国的な一定の線でいけるようになるのではないかと思っているのです。先程も申しましたが、結核性疾患または精神障害については、午後から両先生からくわしくお話があると思います。
上下肢の著しい機能障害ということ
では両上肢または両下肢の著しい機能の障害というものは、どういうものかと、考えていくとにします、一側上肢または下肢の三大関節中、2大関節が筋力を喪失したり筋力が半減して可動範囲も半減したり、腕または膝関節が不良肢位といいますか、その上肢または下肢が使用できない位置一不良肢位または不便利肢位一に固定してしまったときに、その上肢または下肢が著しい機能障害をもっていると考えて、それが両方にあるもの、一側の上肢と下肢にあるものを、1級というように考えています。では、動作的にどういうことになるかと申しますと、上肢では、食事が独りでできない、衣服の着脱ができない、用便の処理ができない、というようなことになってきます。このさいこの基本的日常生活動作のどれかーつ、人手をかりなければできないばあいは、両上肢の著しい障害とみてよいと約束します。
わたくしは良肢位不良肢位、便利肢位不便利肢位の判断は整形外科医として、その肢位を手術で改める必要を感じないときは、それを良肢位または便利肢位と考えるととにしており、このようなケースではその上肢または下肢の著しい障害とは考えないとしています。まだいろいろむずかしい問題もあるのですが、とにかく日常生活のうち、どれかが援助なしではできないというときは、両上肢の1級であるというように考えています。
下肢の方では両下肢に障害があって、部屋の中でも壁づたいとか、机とかをつたって歩かなければ移動できない、部屋の中でも補助用具がなくては四つばいをしたり、いざって移動するより他に移動できない状態が、「両下肢の著しい障害」でこれを一級とする。それから両下肢の障害で部屋の中はそういうものを使わなくてもよいが、外にでたときは杖が必要だ、野外移動では補助用具が必要だという程度が2級と考えたらよいと思っています。一下肢障害で膝関節が80度もまがっているばあいには、その下肢は、まったく体重を支え得ませんので部屋のなかでも補助用具が必要になってきますが、これは一下肢の問題でありますので、一下肢の著しい障害、すなわち2級であります。切断したばあい、これは別表で1級では、上肢4号、下肢7号、2級では、上肢6号、9号、下肢10号、13号になるわけですが、指を欠くというのは、指のつけね、いわゆる中手骨指骨間関節又は中足骨指骨間関節から欠くものをいい、足関節以上で欠くものとは、足根骨を欠く切断というように考えます。
大きくかわった廃疾認定日
では、そのような廃族認定、むしろ今後は障害認定というべきでありましょうが…はいつするのかと申しますと、それは、厚生年金のばあいにならったもので、昭和39年8月に大きな変化をおこしています、従来は、症状が固定したときに廃疾認定をいたします、ということであったのですが、ところが、39年の8月から、「初めて医師にかかった日いわゆる初診日から3年間たちましたら、自動的に廃疾認定日がくる」ということになったわけです。いいかえればなおらないものでも廃疾認定してよい、というように変ったのであります。本来、廃疾という言葉のもつ意味は、そのような身体の状態の如何にかかわらず、一定の時間が経過して、しもまだ疾患が続いているというものに付していいのか、付せないとすれば廃疾という言葉を変える必要があると考えているのですが、従米では「できない」ものに年金を出しますということになっていたのに、39年8月から「してはいけない」という人にも出るようにかわったわけであります。例をカリエスにとってみますと、従来ならば、圧迫性脊髄炎でもおこして、カリエスも症状固定し、両下肢の麻痺が回復しないときに認定していたものが、今度は、初診日から3年目で、まだ安静横臥すべきであるというばあいも認定することになったわけです。
このような制度には長と短所があるわけで、その短所については、41年度の大政正の時に大いに検討していこうという厚生省の考えですので、多分改正があると思います。なぜ3年目で廃疾認定するということに問題があるかと申しますと、第1に厚生年金にならったということに開題があると思います。厚生年金と国民年金の差は、厚生年金は被用者年金でございますので、雇われる時の身体状況の把握が適確であります、それから働いていますので、いつ病気になったというものの把握が、適確であります。どこから出勤簿に判をおしていないかということでも、調べられるので、初診が適確につかめるのであります。それからもう一つ、先天性の脳性麻痺とか、盲といった人々は、はじめから厚生年金の対象にならないという実態もあります。そういう障害者を雇う事業所は、まあ、ないからであります。
国民年金のばあいには、地域年金といいます。たとえば市町村で農業や漁業で毎日自分で小さくかせいでいるという、そういう人たちを対象としていますので、20歳から国民年金にはいって、そのとき身体の状況はどうであるかわからないばあいが多いわけであります。体格検査をうけて国民年金制度に入るわけではありません。そういうことでいつ病気になったかわからない。非常に把握しにくい、それから先天性のものもいわゆる国民年金の障害福祉年金というものでみることになっています。廃疾認定日が、初診日から3年目にくるということは、結果として不公平を呼ぶことを多くします。しかも廃疾認定日はただの1日であって、その後に増悪したものは認めない態度では、「なおらない」症状のうごくものを認めながら、廃疾認定日では症状のうごくのを認めないという矛盾をふくんでいることになります。〈注 昭和41年法律第92号によって事後重症の制度がとり入れられ、この矛盾は解決された。>
厚生年金創度が保険制度をとり、国民年金額度も保険制度をとっているからといって、それぞれの保険制度に入る人のバックグランドの相違を考えずに、認定制度を考えたことが混乱のもとになったわけです。そういうことで問題はありますけれど、とにかく39年の8月からは、病気になってはじめて医師にかかってから3年目で、廃疾認定をすることになっています。それで廃疾認定診断書で初診日というのは非常に大切になっていますので、先生片は他の臨床で非常にいそがしく、こういうことには興味がないかもしれませんが、記入の際には、また診断書をよまれるばあいには、十分にご注意ください。
進歩していく廃疾認定の考え方
従来は、病気になった人は、なおるか死ぬかのどちらかだったのです。言葉はわるいですが、,いわゆるはん殺しの状態で生きるというケースはすくなかったのですが、それ等の人が医学の進歩で障害をもちながら生きのこるばあいがだんだんふえてきたわけで、それでいわゆる現在話題になっているリハビリテーションという問題も、非常にクローズアップされてきたのであります。しかし、そのリハビリテーションとうらはらに、リハビリテーションができない方には、なんらかの社会的な支えをしなくてはならないという問題が、また重要な社会問題になってきたのであります。
リハビリテーションのうらはらにあるものが廃疾認定から申し上げていますように廃疾という言葉がいいかわるいか問題がありますが… …であろうかと思います。そういう意味でリハビリテーションが、医学的に重要視されるならば、障害の程度をはかるというものも、医学的に非常に大切ということになります。けれども従来はその必要性は行政面からうたわれただけでした。来将は、やっぱり社会医学的な面で廃疾認定をして、そして医学そのものだけでは、どこまでなおすことができてどこまでなおせなかった、というようなことを判定し、なおせなかった部分については、行政的な支えを要求するという態度が望ましいいのではないかと思います。個人的には、将来はこういう問題は、医学のなかで、そうとう重要な問題となってくるのではないかと思っているわけであります。すでに結核や精神でも、社会的治ゆという問題、欠損治ゆ者をどうするかという問題で、関係医師の方々はなやんできておられるはすであります。この面の社会的考察は、医学の大きな問題になるという、わたくしの予測があたるか、あたらないかは、これから10年間の状態がはっきりしてくれると、実は思っているわけです。試行錯誤といいますか、行ないつつ矛盾をあらためていくという態度は、必要なことですし、質疑応答のうち、また開題点がでてくれば、だんだん、より適当な方に考え方をまとめていきたいと思っています。
廃疾認定講習会(40年5月開催)における東京大学教授笠松章氏の講演記録
はじめに
先ほどから砂原先生や下河辺さんの話を聞いていますと、障害程度の判定ということが、いかに難しいかということがわかります。外部障害でも、結核でも、難しいとすると、精神障害のような、患者の側からいっても、判定する側からいっても、その根拠が主観的にならざるをえないものを、いったい判定ができるのかどうか、自信がなくなるような気がします。
結核であれば、X線所見や菌の状態などによって、外部障害であれば、形にあらわれたもの、あるいは筋力というようなもので、数字であらわしたりすることもでき、何かチェックするものがあるのですが、精神障害はチェックするものが何もないのです。「肺結核の話ですれば、初めから安静度というようなものばかりで始めなくてはならないのです。しかし、悲観的なことを申しましたが、やっぱり、これはどうしてもやらなければならないことと、わたくしは考えるのでございます。
今までの廃疾という言葉では、まず医療があって、それが行くところまで行ってしまって打切られる場合がこれで、木に竹をつぐ、こういう考えだと思うのです。しかし、そうではなくて、医療は医療でいつまでも続いていて、そしてある時期(それは今のところ、3年ということになっています。これについては、いろいろ矛盾を生むことは、話にでると思いますが。)になると、そこで、ここでいう生活保障である年金が始まってくる。この二つは両立してもいいものだというようなことが、はっきりしてきました。
この考え、すなわち医療保障と生活保障が両立するという考え方にも反対があり(わたくしも一部同感するところがあるんですが)、たとえば、精神障害などは、どんどん医療機関をふやして、医療を進めていけば、生活保障などは、いらないのではないかなどという考え方です。ところがこれがなかなか拡大しないのが現状です。医療保障はご承知のように、医療側と支払い側が紛争をおこし、これが拡大しない原因の一部となっています。それから、この前のライシャワー大使事件を契機としておこった精神衛生法の改正のときにも、精神障害者医療を拡大しようとしますと、医学における他の科と衝突するような面もでてきます。精神科だけ拡げるわけにはいかないというわけです。
さて、結核なんかでもそうでしょうが、慢性の障害を永く続けて治療していますと、その患者の家庭生活をおびやかされることは当然です。そういう生活を医療とは別に保障するということは、福祉国家としては当然のことです。それを医療の枠内だけでやることは、前にのべたような理由で非常にむずかしいことだと思うのです。傷病手当金というようなものが医療の枠内にあり、これを増していけばよいという考えもありますが、これもでるところが違うから、今の日本のような医療制度だと、生活保障制度の方からすすめる方が、患者のために有利になるのではないかと思うのです。そう思うと、国民年金に、精神障害の認定がむずかしいからといって乗りおくれてはならないというような気がするわけです。
もう一つ、今のところ福祉年金は1級ですし、拠出制の国民年金での障害年金は1級、2級だけですけれども、これで満足しているわけでなく、3級、4級にだんだん拡大していくことを期待しています。最近、われわれの専門領域である精神医学の進歩によって、精神障害者が何かの欠陥をもちながらも、社会復帰ができるという見込がだんだんついてきました。わずかのハンディ・キャップ、たとえば、20%のそれをもって社会復帰するなら、その分だけの障害保障を得て、残りの80%はフルに利用して活躍することができるなら、まことにけっこうです。この欠陥分だけを国民年金で保障してもらえば、一般健康人と互して社会で働いていけるわけですから、将来の見通しがでてくることになります。精神障害の認定にいろいろ困難があっても、非常に大切なことだと思うようになり、日本精神神経学会の方にも、この専門委員会をつくって検討することになっています。
認定基準作成の根本的な考え方
さて、この精神障害を外部障害や結核のように、国民年金の対象として基準を作ろうとすると、まえから述べているように、まことに困難で、ときには矛盾がでてきて収拾がつかなくなるというようなところがあります。そこで、われわれの方では、次のような方針でのぞんだのであります。
ここに、国民年金法の別表にございます1級の状態として,、両眼の視力の和が0.04以下のもの、両耳の聴力損失が90デッベル以上のもの、それから外部障害として、四肢の障害をあげております。
これを読むと日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる状態が、頭のなかに浮ぶわけです。それと相応するような類似な精神障害は、どんなものかと考えるという方針です。それから2級でも同じことで、両眼の視力の和が0.05以上0.08以下のものと、以下日常生活が著しく制限される状態を書いてありますが、こういうものを頭のなかで考えてくださいというわけです。診断書を書く人、あるいは、これを判定される皆さん方の主観的判断が非常に大きくなりますが、これにたよるよりほかに方法がないだろうというようなところで出発したわけです。
そのかわり、その認定診断書を書く人を限定しています。外部障害でも、結核の方でも、国民年金の診断書は、医者ならだれでも書けるようになっているのですが、精神障害に関しては、専門家でなければ書けないということにしたのです。精神衛生法で規定された精神鑑定医とその他いわゆる専門医(この専門医というのは、医師法にはないのですから、作っても作らなくても同じだという意見もありますが)だけが書くことができる、すなわち、書く医師の側を少し規制することによって、主観性にたよらざるをえないところを、少しカバーしようとしたのであります。
社会医学的な診断書が必要
つぎに、お手元にある内部障害認定事例集について申しあげます。これはいろいろの問題点をあげたもので、まず第1は、廃疾認定診断書は狭い意味の医学的診断書でなく、社会医学的な診断書であるということです。これが書かれる方にあまり理解されていないのではないかと思います。わたくしは別のところにも書きましたが、現代の医学では、好むと好まざるとにかかわらず、第1の診断と第2の診断が必要になってきました。第1の診断というのは、純医学的な症状を把握し、できればその原因までわかって、病気を完全に治ゆするための治療方針まで指示するような病名をつける。ついで、完全治ゆを目指して治療を行う、この出発点になるのが普通の意味の医学の診断です。
ところが、これだけでは、医者のつとめはおわらなくなります。すなわち、死ぬか、治るかの間に、何かの欠陥を残して治るという症例が、医学の進歩によって、精神医学ばかりでなく臨床医学一般に、だんだん多くなりつつあるのが現状です。第2の診断というのは、この欠陥を残して治った状態に対して行われるもので、純医学的には、症状固定の時期をつかまえ、その欠損の程度を社会的に判定するためのものです。欠損の程度はその人が人間として生きてゆくのに、どれだけの短所をもっているかということですが、全社会生活とまではいわなくても、もっと基礎的な日常生活の上で、どれだけの欠損をもっているかということを、判断しなくてはなりません。これがわたくしのいう医学の第2の診断ですが、前の方を医学の治療医学的診断とすれば、第2の方は社会医学的な診断だといえるわけです。障害年金の診断書には「日常生活にどれくらい障害を及ぼしているかが記入されているか」ということが非常に大切なわけです。ところが、だされた廃疾認定診断書には第1の診断とごっちゃになったような診断書が多いのです。たとえば、「妄想」は、精神医学の診断では、もちろん非常に大事なことですが、しかし、この診断では妄想の有無、妄想の内容を書くことがたいせつでしょう。たとえば被害妄想があって、特定の相手に非常に敵意をもっていて、ほっておくと何をするかわからないというような場合は、日常生活に影響が多い。「妄想」があってる他に影響を及ぼすことが少ない場合であれば、この第2の診断では重要な意味をもってこないわけです。要するにこの診断書では、その症状によって、日常生活にどんな影響があるかということを強調して書いてもらわなくてはならないのに、そういう点が、ねん入りに書いていないということに気がつきました。その他、現症欄に単に精神能力水準の低下、不潔症状とだけ書いてあります。しかし、この精神能力に低下があるために、何ができないかということを、具体的に書かなけれは意味がなくなります。不潔症状といっても、そのため大小便を附近へまきちらすような不潔症状か、われわれでもやるように1週間でも2週間でも風呂に入らなくても平気だというような不潔症状か、日常生活に具体的な内容として、それがどう現われているかということが、この診断書の決め手であるということです。この点、診断書という名前がついているために、ふつうの第1の医学的診断のような記載が、非常に多いということに気がつきました。このままでは、なんとも判断できないから、もう少しこういう点をくわしく書いてくださいと頼むようなことになると思います。
生活保障のための診断書
それから、「もう一つ大事なことは、これは医療保障のための診断書ではなくて、生活保障のための診断書であるということです。しかし、1級程度の重症なものは、大多数がおそらく入院していると思われます。描置入院だとか、生活保護だとか、いろいろの形で医療保障の下にあると思います。医療機関のなかに入院している場合、閉鎖病棟にいるか、開放病棟にいるか、どの程度の看護、たとえば食事を食べさせてやらなければいけないかどうかということも大事だが、それだけですみません。それよりも生活保障であるかぎり、家庭へかえしてみて、そして、どんな生活ができるだろうかと、頭のなかだけで考えた上での判定が必要なのです。
しかも、家庭へかえすといっても、その人の家庭そのものでなく、日本の平均的家庭を考えなくてはなりません。経済的に恵まれていて、できることでも家人がめんどうをみる、そんな家庭ではないのです。逆に貧困な家庭で、できないことまでしなくてはならない家庭もないのです。日本の平均的な家庭へかえしてみたら、どういう生活ができるか、ということに考えなおしてみなくてはならなくなります。医療保障なら病院内でどんな状態にあるかということが問題ですが、生活保障ですからとにかく一度、家庭にかえしてみて(もちろん頭のなかでですが)どんな状態になるかということを考えてみなければ、本当の判定がでてこないのではないかと思います。
そうロではいっても、非常にむずかしいことだということは、わたくしもよくわかります。現に患者は病院の中に入っていて生活をしているのですから。しかし、原則的には平均的な日本の一個人が平均的な家庭へかえって、さてその人に、どれだけ生活能力があるかということから、基準がでてくると思うのです。そういう点が、今後、この国民年金の福祉年金に精薄が入ってくると、十分考えておかなければならない点だと思います。
しかし、その次の操作としては、平均的な家庭生活での生活能力の欠損が、逆に病院へ連れもどってきた場合、病院内でどんな生活ができるだろうかということから、基準をつくることも可能かと思います。将来の問題としては、結局、病院内での生活から、この程度は1級だとか、2級だとか、基準ができれば一番よいわけです。しかし、原則的には生活保障ですから、病院内という特別な医療機関内での生活能力でなくて、社会人としての生活能力を、頭において診断書を書かなくてはならないことにかわりはないと思います。
精神障害としてふくまれるもの
今までのべたところで、わかっていただけたと思いますが、要するにこの診断書は、社会医学的な診断ですから、まず精神科の専門家でなくては書けないと考え、書く医師に制限をつけたのです。それから、社会医学的な所見ですから、病院内だけでなく、平均的な家庭にかえった場場合に、その人が日常生活にどんな障害があるかということが問題です。
そこで、もう少し具体的に申しますと、認定基準によりますと、精神障害であって、前号と同程度以上と認められる程度、すなわち1級は、「日常生活の用を弁ずることを不能ならしめている程度」、2級は「日常生活に著しい制限をうけるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度」ということになります。それにはどういう疾患があるかと申しますと、分裂病とそううつ病、非定型精神病、てんかん、中毒精神病、器質精神病、最後に新しく精神薄弱が加わることになりました。
改正前の別表ですと、精神障害のなかで、精神病質、神経症と精神薄弱をのぞいていましたが、こんどは、精神障害者は一応全部対象になることになります。しかし、精神病質と神経症については、原則的には別表に定める程度の障書に該当しないのです。なぜかというと、精神病質は原則的には日常生活の用を井じることを不能ならしめるような、あるいは制限を加えるような状況にはないからです。また、神経症も、原則的に治療可能ですから、このような状況にはならないと考えているわけです。これは原則的ですから、それでは例外的には、どういうことがあり得るかということになりますと、精神病質については、例外みたいなものもないと思います。神経症については非常に長く続く強迫神経症などで、まれには2級程度のものがあり得るかも知れません。しかし、これも原則的には、治る可能性があるわけですから、あまり対象にしない方がいいと思われます。とくに神経症で生活保障をしますと、病気のなかにかくれてしまって、自分で治す意欲がなくなってきて、患者のためにならないといってもよいと思います。したがって、神経症と精神病質は、事実上のぞいてしまうことになると思います。
精神分裂病の判定基準と「適当な介護」のもつ意味
精神障害の対象となる疾患として、精神分裂病がまず該当すると思います。認定基準によると「高度の欠陥状態のため、高度の人格の崩壊、思考障害、その他妄想、幻覚等の異常体験があり、適当な介護がなければ、日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」となっています。
問題はこの適当な介護がなければということであります。少し拡大して解釈しますと、分裂病は全部これに入ってしまうことになりましょう。分裂病で入院している患者の多くは、家庭的にも社会的にも何か問題行動があるから入院しているので、入院を介護のためとすると、分裂病による精神障害者は全部入ってしまうということになります。しかし、日常生活(この場合は病院内での日常生活)という面からみると、精神病院に入っている患者のうちで、基本的生活能力や自己の保全能力を失っている者は、そんなに多くありません。「事例集」の初めに書いてありますが、
A 日常生活の基本的生活能力というのは、ア食事が独りでできるかイ用便(女性なら月経)の始末が独りでできるかウ入浴、洗面、下着の交換はどうかその他、日常生活の基本的起居が独りでできるか、というエことです。
B 日常生活における自己の保全能力とは、ア 食物の適否がわかるか イ 刃物、機械、火などの危険がわかるか ウ 危険な場所がわかるか エ 日常生活における昼夜その他、時間的区別ができるか オ 天候、気候に適応できるか、ということです。
しかし、前からくりかえしのべているように、この保障は生活保障ですから、病院内で、これらの日常生活の能力に障害がなくても、平均的家庭環境で、これに障害のおこることが推測される場合、当然1級あるいは2級に該当することになります。
また、認定基準に書いてある分裂症状の高度の人格崩壊、思考障害、その他
異常体験のため、日常生活がある程度できても、閉鎖病棟に入れて常時注意していなければ、何時外へ出ていくかわからない。外へ出て店先に並んでいるものを持ってくるとか、帰り道がわからなくて、他人の世話になる分裂病患者が、病院内でこんな状態に常時あるとすると、この患者を平均的家庭環境にもどすと、自己の保全能力に障害があることになりますから、その程度により、この障害保障の対象になってよいと思います。
また、陳旧分裂病患者にみられることですが、たとえ開放病棟にいても、呼んでこなければ、常時食事にも出てこないというようであれば、平均的家庭環境で、先ほど述べた基本的生活能力に、障害が多少とも出てくると考えてよいでしょうから、これも程度によって問題になると思います。
要するに、国民年金法別表のはじめの方にある外部障害で用便、食事などのめんどうをみる介護と、精神障害の場合の介護とは、多少質が異なってくるわけで、その介護の範囲をもう少しひろげてもいいと思います。誰かが注意していなければ、とんでもないことになってしまうという状態に患者が常時ある、そのくらいが精神障害の介護であっていいと思います。
ここで精神衛生法第29条のいわゆる自傷他害のおそれによる措置入院との関係が問題になります。これは、自傷については患者の保護のために、他害については社会的危険の防止のために、医療の枠内で措置しようとするのですから、生活保障の国民年金とは、原則的に法律の趣旨がちがっているといってよいと思います。
しかし、自傷の危険が発病以来3年以上たって、常時つづいているのならば(こんなことは次のうつ病にはあっても精神分裂病では珍らしいが)、まえに述べた自己保全能力に障害があるので、その程度に応じて生活保障としての障害年金の対象としてよいであろうと思われます。他害については、一応患者自身の生活能力とは別に考え、精神衛生法の措置入院として医療保障の対象とすべきであります。
その他の精神疾患の判定基準
次は、そううつ病ですが、この病気は原則的には、わるい期間(病相期)がくりかえされますが、よい時期には発病前の状態にまで良くなるものですから、年金の対象になることは、分裂病ほど多くないと思います。ただ、1病相期が異様にながびいたり、または短くともひんばんに繰り返したりしますと、問題になることはあると思います。その認定基準は、だいたい分裂病と同じです。
非定型精神病というのは、そううつ病とも分裂病とも、診断を確定できないような症例に、こんな診断名をつけることがあるから、とくにこれを入れておいたのです。これも分裂病とそううつ病と同じように考えてよいと思います。
てんかんについては、認定基準に、「頻繁に繰り返す発作又は高度の痴果、性格変化その他精神神経症状があり、適当な介護がなければ、日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」ということになっています。これも何回の発作があれば、それに該当するかというようなことになると、何も決まっていないのです。
しかし、そんな発作回数で決めるより、全体を総合して、その患者の基本的生活能力あるいは自己保全能力などの点から、別表にかかげた外部障害とアナローグに、どの程度の障害かと考えていただく方が、本当の判定ができると思います。なお、そのほかに重なってくる精神症状については、分裂病と同じように考えてもらえばいいと思います。
中毒および器質精神病についても同じで、認定基準には「高度の痴果、性格変化及びその他の持続する異常体験があり、適当な介護がなければ日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」あるいは「高度の痴果、人格崩壊、その他精神神経症状があり、適当な介護がなければ、日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」となっていますから、前にいったような条件さえ満せば、1級、2級になりうると思います。
精神薄弱の判定基準
最後に、精神薄弱であります。これまで国民年金の内部障害である精神障害からカッコ書で除かれていたのは、ご承知のことであります。この法律ができる当時から、わたくしたちは精神簿弱が除かれては、この法律は骨抜きになってしまったようなものだから、ぜひ入れていただきたいとくりかえし主張してきたのです。しかし精神障害の取り入れられた同じ年に、重度精神薄弱児扶養手当法〈注昭和41年法律第128号により特別児童扶養手当法となった。>が並行して制定されたので、こんな結果になったのです。当時は、20歳以上の精神薄弱者には、脳炎後遺症などとして、器質精神病の痴呆の方に入れるよりしかたがないと考えていたのです。今回、はっきりと内部障害の中に取り入れられ、骨抜きにならずにすむわけです。
この精神薄弱障害認定基準は「精神能力の全般的発達に高度の遅滞があり、適当な介護がなければ、日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」となっていますから、他の精神障害、とくに器質精神病や精神分裂病と同様に考えていただければけっこうです。
ところで、重度精神薄弱児手当法における精薄児の障害程度を判定するためには、児童相談所において診断書を作成するのに、医師が臨床心理判定員等の協力を得て行うことになっています。しかし、国民年金法においては、その他の障害認定と同様に、精神科の専門医がやるということになっています。
精神薄弱の診断には、知能指数または知能年齢も必要です。しかし大人の精神薄弱者は、よほどの白痴でなければ、ある程度まで生活能力のあるのが普通です。家庭内でも多少の手助けぐらいできる場合が多いですから、知能指数が何点以下であるからというようなことだけで、判定基準にならないのです。やはり実際の生活能カー平均的な家庭環境、社会環境の中でのその人間の能力を総合的に判定してもらいたいと思います。知能指数だけにあまりこだわることはないと思います。
次にこの精神薄弱を取り入れたのを機会に、診断書の様式の一部が改正されました。これは精神薄弱ばかりでなく、精神障害一般について、今までわたくしの申しあげたような点で、いくらかでも書きやすくなるように考えたのであります。
平均的生活環境でどれだけの生活ができるかということ
今までいろいろわたくしの申し上げたところで、一番大事なことは、次の点だと思います。ここで要求される障害年金の診断書は、医療保障と両立する生活保障として、その人間が平均的な生活環境におかれたとき、病気の故に生活能力にどれだけの支障をきたすかということが、原則的には判定の基礎になります。しかし、実際問題として、1級とか2級とかに該当する場合は、おそらく大多数が入院しているということが想像されます。そこで、医療保障でなくて生活保障ですから、一般平均的、家庭、社会環境における生活状況を病院内の生活状況に、あるいはその逆に翻訳してみることが必要になります。それがどんなものになるかということは、わたくしたちも実のところはっきりわからないのです。皆さんとともに研究して、使用可能な基準ができれば、非常にけっこうなことだと思います。これがわったくしの言いました精神医学における第2の診断ですから、精神医学会の問題であるともいえます。
担当:西川 好和
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